「 復興の夜明け、女川町。 」
阿部勝彦
南三陸リアス式海岸南に位置する女川港にあの大津波が襲来した。湾が広く、港に入ると狭くなっている地形に10m強の津波が防波堤を壊滅し町に押し寄せて来ると20m強を越え、高台にある町立病院1階天井まで到達した。津波は、あらゆる万物をのみ込み水没させ万石浦に流れたと聞く。町や港の復興が急がれる中、山を切り開き特殊大型ダンプで民家や商店街の跡地に盛土をし商業土地や公園、高台等の開発が進められている。そうしたなか道路、基礎に使用されていたコンクリートは重機で掘り起こし粉砕機に入れ砂利状の大きさにして再利用される背景には、当時、多くの被災者であふれ苦楽を共にし秩序を守ってきた学校が見える、又、学校の左側には町民が待ち望んでいた復興住宅も完成し、人々が入居するのを待っている。江ノ島、出島の連絡船岸壁で数珠玉の様な黄色い浮き球が有った。大震災や大津波で犠牲になった人々の鎮魂を祈ると共に女川町人々の幸せと一日も早い復興を願いたいと念じた。